しろがね屋裕翠について
中山 裕翠
本名 中山裕晃 1966年富山県小矢部市生まれ
富山県立高岡工芸高等学校工芸科に在籍時に授業として金工に出会う。
同校卒業後、市内の金属加工会社に勤務。地金の溶解から、出荷まで商品が出来るほぼすべての工程を経験。
40歳の時に「しろがね屋裕翠」として独立、現在に至る。
【所属団体】
高岡銅器 仕上げ部門 伝統工芸士祭屋台等制作修理技術者高岡地域文化財等修理協会 金工部会 副部会長
【SNS】
Instagramはこちら高岡銅器の始まり
富山県高岡市は約400年続く鋳物の街です。
1609年に加賀藩2代藩主前田利長公によって町が開かれましたが、その折、産業振興のため大阪河内丹南から7人の鋳物師(いもじ)を呼び寄せ、金屋町に住まわせたのが始まりと言われています。元々は鍋釜などの生活用品から始まり、江戸時代中期からは仏具も生産されるようになりました。
明治期に国の殖産興業政策により全国の工芸品が輸出され、高岡の高い鋳物技術が世界の注目を集める事になりました。現在はインテリア用品、仏具、銅像などを数多く手掛けています。銅像では東京の桜新町のサザエさん像、亀有の両津勘吉像、大井競馬場のハイセイコーの等身大像、鳥取県境港市の水木しげるロードの妖怪像、大分県日田市の進撃の巨人像、熊本県熊本市のワンピースキャラクター銅像など、キャラクターの銅像も手掛けています。
高岡の地名の由来
瑞龍寺の近くにある衆徳山総持寺の二十二世快雄和尚が、前田利長公から土地の命名を依頼され、中国の故事「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」から高岡の地名がついたとされます。